40代・50代の親の介護とDIY

介護と仕事の話・介護のDIY・介護用品を紹介

介護保険を使わずにトイレに手すりをつけるには

80歳の主人の父は家の中で移動するときは手すりなどにつかまりながら伝い歩きしています。そんな父のために、主人は家の中のあらゆる場所に手すりなどをつけてDIYしたり、介護用品を購入して揃えています。

今回は、その中でもトイレにどのような手を加えたのかをご紹介させて頂きます。

f:id:tankakanta:20170819205837j:image

水平器について

上の写真は、毎回手すりをつけるときに必ず使う水平器です。ガラス管の中の気泡の位置によって水平かどうかを調べる道具です。真ん中は地面に対して水平かを確認でき、右は45度、左は垂直(90度)かどうかを計測することができます。使い方は、水平を測りたい物に水平器を置きます。そして、ガラス管の中の気泡の位置を確認します。写真のように気泡の位置が中心にあれば、水平になっているというわけです。

 f:id:tankakanta:20170819212600j:image

 上の写真の水平器を使ってトイレで座った方向から右手前につけた手すり

 

f:id:tankakanta:20170819203244j:image

 トイレに入ってすぐにつかまれるように縦につけた手すり

 

据置タイプのトイレアーム

f:id:tankakanta:20170819204009j:image

 トイレットペーパーで拭いたりズボンを自分で持ち上げるときに踏ん張ることができないため、便器の左右に肘掛けがわりになる物を購入しました。置くだけの据置タイプなので難しい取り付けはありません。両面テープで固定でき、高さも6段階で調節できます。

父は肘などを時々うって、あざができることがあったのですが、肘掛けができたことでその心配がなくなりました。

 

トイレの他にも、風呂場やベッド、普段座っている椅子に色々な工夫をしています。それらについては改めて別の機会でご紹介させて頂きます。

看取り介護という選択~母の介護経験から~

私の実の母は、父に見守られながら介護施設で静かに眠りにつきました。看取りの同意書に署名して1週間後のことでした。

看取りとはどういうことなのか?どのような手続きが必要なのか?

私の体験から、アドバイスも含めてお話させて頂きます。

f:id:tankakanta:20170812133749j:image

 〝頑張りすぎない〟という選択

母が最初に介護認定を受けたのは50代でした。要介護2で、週に2回、デイサービスに通い始めたことから介護保険との付き合いが始まりました。次第に身体の動きが悪くなり、それと共に認知症も進み、レベル低下していきました。食事も誰かがついていなければ一気に口に入れてむせ、誤嚥性肺炎を起こしたこともありました。

日曜などの休日は私も介助を手伝うことができましたが、平日や夜は父が1人で介護をしていました。次第に父は腰を痛め、夜もポータブルトイレで排泄する介助のために熟睡できることはなく、イライラして母に手を上げたこともありました。それで、母は介護施設にいてもらうことが皆のためにいいのではと父を説得しました。

「もうお父さんだけではムリだよ。私も弟達も正社員で仕事をしているし…。」

両親はとても仲が良かったので、「ずっと一緒にいたい」「自分が付き添ってあげたい」という気持ちは分かります。でも、”いつか父も倒れる!”…それも心配でした。父は納得してくれ、60代前半で母は介護施設に入所しました。特別養護老人ホーム(特養)の個室でしたので、父は毎日母のもとへ通い、私も仕事が休みの日は必ず顔を出し、半日付き添いして、とろみ食を食べさせてあげたりして母との時間を過ごしました。

 

変わっていく介護度(レベル低下)

母は次第に上手に食べて飲み込むことができなくなり、60代半ばに胃瘻をつけました。67歳頃からは、肺炎やその他の病気で年に数回隣接する病院に入院するようになりました。入院する度、母は座位が保てなくなるなどのレベル低下が進み、身体も弱くなっていきました。亡くなる半年前からは、常に鼻に管を入れて酸素吸入がかかせなくなりました。入浴介助をうけるときも酸素は離せないため、軽量のボンベに付け替えて施設の方が入浴させてくれていました。一番辛そうだったのは痰がよくからむようになったことでした。管を入れてとってもらっているときのあの辛そうな表情…管に血が付いていることも時々ありました。

 

【介護の看取り】と【医療の看取り】

酸素吸入がかかせなくなって半年たった頃、施設の医師から「(母の)身体のことについて話をしたいので、お父さんだけではなく、娘さんにも同席してほしい」と声がかかりました。私は半日有給をとり、父と2人で施設に隣接する病院に行きました。そこにはケアマネージャーと生活相談員もいました。医師からの話は「今までの○○さんとは違い、色々な臓器が弱っていて余命は3ヶ月ぐらいです」という内容でした。そこからは延命措置をするかどうか?という話になりました。

父も私も延命措置は望んでいませんでしたので「望みません」と応えました。すると、医師から「一つ確認があるのですが…?」と言葉が返ってきました。「延命措置をしないことで、後から親戚との間で問題になったりということはありませんか?」と…。

延命措置をしないで最期をむかえた後になって、親戚から「なぜ?」と言われることがあるのだそうです。私の家族は親戚とよく連絡をとっていて、父の兄弟とも母の兄弟とも信頼関係がありました。そのことを離すと医師は安心してくれ、ターミナルケアの同意書にサインをしました。

その後、今度は介護施設の方から「介護に関係する(看取りの)説明とサインが必要な書類がある」というので、父と一緒に母のいる施設に戻り、説明を受けました。介護保険の看取りでは、看取り介護加算というものがあり計算が変わるということをこのとき初めて知りました。そして、看取り介護の同意書にサインしました。

 

介護施設と意思疎通ができていたからこそ

それから一週間後の朝、通勤のためにバスに乗っていると父から電話がかかってきました。乗車マナーを考え電話にでずにいましたが、何度もかかってきたので電話にでると「母がいつもと違って状態が悪いらしい」と言うのです。仕事が忙しく、看取りの説明を受けるときにも有休を取っていた私は、“いつもと違う”というだけではバスを降りるという決断ができませんでした。でも、やはり母のことが気になり、いつもより一つ前のバス停で車を降りました。そして職場に連絡し、タクシーをひろって乗り込みました。気になってタクシーの中で施設に電話をすると、聞き慣れたスタッフの声がし、「私も今聞いたばかりで…。」そう言ってくれながら、そこに駆けつけた生活相談員に電話を変わってくれました。「今しがた…です。」

駆けつけた父に見守られながら、母は静かに眠りについていました。私が着いてから、看護師がエンジェルメイクの手伝いに口紅を塗らせてくれました。父が駆けつけたとき、医師が「どうぞ声をかけてあげてください」と言ってくれたそうです。母は最愛の父の声を聴きながら旅立ったそうです。

父が間に合ったのも母が静かに苦しむ表情を見せたり残したりせずに旅立てたのも介護施設と信頼関係があり、普段から意思疎通ができていたからだと実感しています。

 

介護施設や病院の人に話したいことや相談したいこと、改善してほしいこと…色々とある方も多いと思います。私も、父と私と施設の方とで何度か話し合いをしたり説明を受けました。そのときは、必ず相手側の言い分も聞きこちらの言い分だけを言わない!ということを心がけていました。納得のいく“そのとき”のために、このことは大事なことだと思います。

 

理学療法士の転職紹介なら【マイナビ医療介護のお仕事】

 

 

長時間座ることによる褥瘡を予防するには?家族が自宅でできること

主人の父は脳梗塞をきっかけに脚力が低下するなど、カラダが不自由になっていたのですが、5ヶ月前から脚力がどんどん落ち、1日の殆どを椅子の上で過ごすようになりました。そんな父は、以前から「お尻が痛い」と言うことがたまにありましたが、薬を塗ることで治ってはまた痛くなるということを繰り返していました。

ですが、5ヶ月前にお風呂の浴槽から出られなくなったことをきっかけにレベル低下が進み、今は家の中の移動も、手摺りなどを使って伝い歩きするのがやっとです。そんな状態ですので座っている時間が長くなり、「お尻が痛い!」と辛そうに言うことが増えてきました。軟膏などの薬を塗っても以前のようにはよくならず、「痛い!」と言うことが多くなりました。そんな父のために、2つのクッションを用意しました。それからは、痛いと言うことは無くなりました。どのようなクッションを用意したのかをご紹介します。

f:id:tankakanta:20170814171748p:plain

 自宅で座っている時間が長い!圧迫防止には?

前述したように、父は座っている時間が長く、時々「お尻が痛い」と辛そうでした。お風呂上がりに見てみると、常に褥瘡があるというわけではありませんが、お尻の一部がただれては薬を塗って治り、暫くすると、またただれる…ということを繰り返していました。

あまり同じ体勢をしていてはいけない(時間を決めて体位変換した方がいい)ということは、前回書かせて頂いた〝寝たきりの母の経験〟から分かってはいましたが、父はトイレに行くなどの最低限の移動以外では椅子から離れません。脚力がないので歯磨きも椅子に座ってします。認知症などはなく自分の考えもはっきりしているので、無理強いするわけにもいかず、症状だけがひどくなっていきました。

そんな父のために、私は実母が使っていて実家に残っていた四角いクッションを車椅子ように用意し、主人は父が普段座る椅子ように圧力を吸収するドーナツ型のクッションを購入しました。

tankakanta.hatenablog.jp

  車椅子のための四角いクッション

f:id:tankakanta:20170815225209j:image

 これが、実父が実母の褥瘡対策に購入したものです。 

 私の実母は60代前半で自分で歩くことができなくなり、介護施設で普通の椅子に座るということはなく、座っているときはいつも車椅子でした。次第に座位を保つことも困難になってきました。そんな母が「少しでも楽に座れるように」、「褥瘡対策に」と実父はこの四角い耐圧分散のクッションを購入しました。実母が他界してから、私自身も職場や自宅のソファーでお尻の下や背中にあてて使っていたので、使い心地の良さを実感していましたので、父が「お尻が痛い」と言っているのを聞き、実母が使っていたクッションを父が通院時に使う車椅子に敷きました。中心部が円形にはずせるようになっていたり、カバーがはずせて洗えるようになっている点も便利です。

  普段座っている椅子のための圧力吸収クッション

f:id:tankakanta:20170815225733j:image

  これが、主人が購入し父の普段座る椅子に置いたドーナツ型クッションです。

左右の前の部分がへこんでいて、座ったときに太ももにもフィットし、ソフトな弾力で座り心地がとてもやさしく、このクッションに座りはじめてから、父は「お尻が痛い!」と言わなくなりました。尾てい骨があたる部分がへこんでいるのもよく考えられています。

 

 

このお話が褥瘡で悩んでいる方やそのご家族の方のお役に立てれば幸いです。

働きざかりと親の介護

私は40代後半で主人は50代前半です。

私は30代から実母が要介護状態で、3年前まで介護施設や介護サービスとのお付き合いが続きました。一年前に父も他界しました。

ですが今年、新しい家族が増えました。結婚し、また〝お父さん〟〝お母さん〟と呼べる人ができました。主人の両親は共に80代前半で、母は元気ですが父は要支援2で介護が必要な状態です。要支援2といっても、家の中での移動だけでもひと仕事で、自分で歩いてトイレに行けますが、手摺りか何かにつかまりながらの伝い歩きでなければ移動することはできません。

5ヶ月前にお風呂に入っていて出られなくなり、救急車で運ばれるということがあってから、母だけでは、父の入浴中に何かあるといけないので家族で相談し、父は必ず主人がいるときにお風呂に入るようになりました。主人も私も仕事をしており、主人の実家は同じ市内ですが山間部なので毎日という訳にはいかず、2日に1日、主人と一緒に実家に帰って泊まっています。

 f:id:tankakanta:20170809120938j:plain

自身の親の介護から配偶者の親の介護へ

親の介護というと、大きく分けると〝自身の親の介護〟〝配偶者の親の介護〟の2つになると思います。私の実母は『看取り』というかたちで介護施設で静かに息をひきとり、母の介護で腰を痛めていた父も他界するといったん介護は終わりました。

でも、有難いことに再び〝お父さん〟〝お母さん〟と呼べる人ができました。そして、〝お父さん〟が前述したような状況なので、再び介護と向き合うようになりました。

少子化で、しかも殆どの人が仕事をしている現代…40代・50代の働きざかりの介護と老々介護は私の生活の中の一部でもあり、大きな社会問題だと実感しています。

 

 職場の理解

介護休職を社内規定に設ける会社も多くなってきました。私が以前勤務していた会社にもありました。でも、在職中に全社員の中で実際に介護休職をとったのはたった1人だけでした。

私の母も少しずつレベル低下が進んで身体が弱くなり、次第に救急車で運ばれたり入院することが多くなりました。余命3ヶ月と説明を受けたときには、上司に時間を作ってもらい、会議室で「有給を急に取ることが増えるかもしれない」と話しました。上司はそのことを理解してくれず、逆に「そんなことで私を呼びつけたの?」と言われ…辛い思いをしました。このように、職場の上司が理解してくれなかったという経験を主人もしています。

 両親が病院に行くときや髪を切りに行くなどの用事で出かけるとき…仕事の都合をつけ、できるだけ私達夫婦と両親の4人で車で出かけています。母だけが出かけるときには、私が父と実家で留守番をしています。

初めて父と2人で家にいることになったときには、こんな微笑ましい話も…。父が主人にむかって「喧嘩せんように(2人仲良く留守番)しているからな♪」と明るく言ってくれました。でも、父は少しずつ歩きづらくなり、家の中で転けることもしばしばです。股関節を手術している私レベル低下している父、2人での留守番はやがてできなくなりそうです。

私達夫婦と両親の話が、同じように介護をしていたり、悩んだり、不安をかかえている人達と共有でき、宜しければコメントを頂いて一緒に考え、歩めていければ幸いです。

f:id:tankakanta:20170809143948j:plain

 お題「ブログをはじめたきっかけ」

 

 

褥瘡を予防するには? 寝たきりの母の経験より

主人の父(以下、お父さん)は現在80歳で要支援2です。家の中でトイレにいくために歩くときも手摺りや柱など、どこかにつかまりながら移動しています。一昨日の朝もドスンという音がするので慌てて駆けつけると、転んで腕をケガしていました。 

身体の自由がきかなくなると、どうしても座っている時間が長くなりますよね。お父さんは時々「お尻が痛い」と言い、座っているのも辛いという時があります。実の母(以下、母)も晩年は寝返りすることすらできない〝寝たきり〟の為、褥瘡対策をしていました。

 今回は、母のときにはどんな褥瘡への対処をしたのか?をお話させて頂きます。

お父さんの話は、対策も違うので別の機会にお話させて頂きます。

 f:id:tankakanta:20170809200023j:image

 寝たきり(寝返りが自分でできない人)の褥瘡対策 

母は50代半ばから要介護状態で、始めの頃は家の中なら自分で歩いて移動でき、介護度は"要介護2"でしたが次第にレベル低下していき、60代になると、介護を主にしていた父に負担がかかってきたため、介護施設に入所しました。60代後半になると更にレベル低下が進み、自分で寝返りもできない状態になりました。カラダが動かなくなると認知症も進み、私が娘だということも分からなくなっていました。

そんな母のことを、両親が時々通っていた皮膚科の先生が受診時に心配し「床ずれができないように気をつけてあげて」と父にアドバイスをしてくれました。それから父は、母に褥瘡ができないように対策をとるようになりました。父は毎日母のいる介護施設に行っていました。母に付き添い、目薬をさしたり、カラダをマッサージしたり、話しかけたり…半日は母の側に付き添っていました。

体圧分散用具と体位変換

そんな父が、まず褥瘡対策に思いついたのは、体圧を分散させるためのクッション(パット)の購入でした。そして、カラダの向きや姿勢を変える体位変換についても工夫し、介護施設の方にも協力してもらって2時間おきにそのクッションの場所を変える時間表を作り、個室の母のベッド近くに貼ってもらいました。

 これがそのときに使った体圧分散用具です。

 この三角柱のクッションを、2時間おきに右か左の背中に当て、お尻の裏側にも当てました。右へ左へと体位変換をし、上向きのときには膝の下に入れ、褥瘡ができないように工夫しました。結果、母は70歳で息を引き取るまで、一度も褥瘡ができずにすみました。

父の母に対する想いと介護施設のスタッフの皆さんのおかげだと思っています。

この話が、褥瘡に悩んでいる方やご家族の方のお役に立てれば幸いです。

 

tankakanta.hatenablog.jp