40代・50代の親の介護とDIY

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看取り介護という選択~母の介護経験から~

私の実の母は、父に見守られながら介護施設で静かに眠りにつきました。看取りの同意書に署名して1週間後のことでした。

看取りとはどういうことなのか?どのような手続きが必要なのか?

私の体験から、アドバイスも含めてお話させて頂きます。

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 〝頑張りすぎない〟という選択

母が最初に介護認定を受けたのは50代でした。要介護2で、週に2回、デイサービスに通い始めたことから介護保険との付き合いが始まりました。次第に身体の動きが悪くなり、それと共に認知症も進み、レベル低下していきました。食事も誰かがついていなければ一気に口に入れてむせ、誤嚥性肺炎を起こしたこともありました。

日曜などの休日は私も介助を手伝うことができましたが、平日や夜は父が1人で介護をしていました。次第に父は腰を痛め、夜もポータブルトイレで排泄する介助のために熟睡できることはなく、イライラして母に手を上げたこともありました。それで、母は介護施設にいてもらうことが皆のためにいいのではと父を説得しました。

「もうお父さんだけではムリだよ。私も弟達も正社員で仕事をしているし…。」

両親はとても仲が良かったので、「ずっと一緒にいたい」「自分が付き添ってあげたい」という気持ちは分かります。でも、”いつか父も倒れる!”…それも心配でした。父は納得してくれ、60代前半で母は介護施設に入所しました。特別養護老人ホーム(特養)の個室でしたので、父は毎日母のもとへ通い、私も仕事が休みの日は必ず顔を出し、半日付き添いして、とろみ食を食べさせてあげたりして母との時間を過ごしました。

 

変わっていく介護度(レベル低下)

母は次第に上手に食べて飲み込むことができなくなり、60代半ばに胃瘻をつけました。67歳頃からは、肺炎やその他の病気で年に数回隣接する病院に入院するようになりました。入院する度、母は座位が保てなくなるなどのレベル低下が進み、身体も弱くなっていきました。亡くなる半年前からは、常に鼻に管を入れて酸素吸入がかかせなくなりました。入浴介助をうけるときも酸素は離せないため、軽量のボンベに付け替えて施設の方が入浴させてくれていました。一番辛そうだったのは痰がよくからむようになったことでした。管を入れてとってもらっているときのあの辛そうな表情…管に血が付いていることも時々ありました。

 

【介護の看取り】と【医療の看取り】

酸素吸入がかかせなくなって半年たった頃、施設の医師から「(母の)身体のことについて話をしたいので、お父さんだけではなく、娘さんにも同席してほしい」と声がかかりました。私は半日有給をとり、父と2人で施設に隣接する病院に行きました。そこにはケアマネージャーと生活相談員もいました。医師からの話は「今までの○○さんとは違い、色々な臓器が弱っていて余命は3ヶ月ぐらいです」という内容でした。そこからは延命措置をするかどうか?という話になりました。

父も私も延命措置は望んでいませんでしたので「望みません」と応えました。すると、医師から「一つ確認があるのですが…?」と言葉が返ってきました。「延命措置をしないことで、後から親戚との間で問題になったりということはありませんか?」と…。

延命措置をしないで最期をむかえた後になって、親戚から「なぜ?」と言われることがあるのだそうです。私の家族は親戚とよく連絡をとっていて、父の兄弟とも母の兄弟とも信頼関係がありました。そのことを離すと医師は安心してくれ、ターミナルケアの同意書にサインをしました。

その後、今度は介護施設の方から「介護に関係する(看取りの)説明とサインが必要な書類がある」というので、父と一緒に母のいる施設に戻り、説明を受けました。介護保険の看取りでは、看取り介護加算というものがあり計算が変わるということをこのとき初めて知りました。そして、看取り介護の同意書にサインしました。

 

介護施設と意思疎通ができていたからこそ

それから一週間後の朝、通勤のためにバスに乗っていると父から電話がかかってきました。乗車マナーを考え電話にでずにいましたが、何度もかかってきたので電話にでると「母がいつもと違って状態が悪いらしい」と言うのです。仕事が忙しく、看取りの説明を受けるときにも有休を取っていた私は、“いつもと違う”というだけではバスを降りるという決断ができませんでした。でも、やはり母のことが気になり、いつもより一つ前のバス停で車を降りました。そして職場に連絡し、タクシーをひろって乗り込みました。気になってタクシーの中で施設に電話をすると、聞き慣れたスタッフの声がし、「私も今聞いたばかりで…。」そう言ってくれながら、そこに駆けつけた生活相談員に電話を変わってくれました。「今しがた…です。」

駆けつけた父に見守られながら、母は静かに眠りについていました。私が着いてから、看護師がエンジェルメイクの手伝いに口紅を塗らせてくれました。父が駆けつけたとき、医師が「どうぞ声をかけてあげてください」と言ってくれたそうです。母は最愛の父の声を聴きながら旅立ったそうです。

父が間に合ったのも母が静かに苦しむ表情を見せたり残したりせずに旅立てたのも介護施設と信頼関係があり、普段から意思疎通ができていたからだと実感しています。

 

介護施設や病院の人に話したいことや相談したいこと、改善してほしいこと…色々とある方も多いと思います。私も、父と私と施設の方とで何度か話し合いをしたり説明を受けました。そのときは、必ず相手側の言い分も聞きこちらの言い分だけを言わない!ということを心がけていました。納得のいく“そのとき”のために、このことは大事なことだと思います。

 

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