40代・50代の親の介護とDIY

介護と仕事の話・介護のDIY・介護用品を紹介

椅子に合わせて作った介護テーブルと車椅子用テーブル

1日の殆どの時間を椅子で過ごしている主人の父のために、主人が座椅子用テーブルを作りました。私自身の母も、座位が保てていた間は、介護施設で食事のときには車椅子用テーブルを使っていました。

とりはずしできる座椅子用介護テーブルをDIYした話と、母の介護のときに重宝した車椅子用テーブルを紹介させて頂きます。

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 身体が思うように動かなくなっても、椅子に座ってはいられるから、血圧を測ったり、新聞を読んだり…ひげを剃ったり…そんな毎日の生活のパターンは今までどおりにしていたいけど、座椅子ではそれができない…。そんな父のために上の写真の座椅子用テーブルを作りました。

 下準備(採寸)

・椅子の横幅の外寸と内寸を測る

準備物

・厚さ7㎜のベニア板

 ※5㎜では薄すぎて耐久性がなく、1㎝(コンパネ)では重すぎるため

・木目シート(貼り合わせるだけなのでボンドなども不要で便利)

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 採寸した幅や奥行きに合わせてベニア板をカットし、肘掛けにひっかかるように板を付け加えます。ベニア板だけでは見た目や肌触りがよくないので、木目シートを貼ってできあがりです。

奥行きもある程度ある方が、新聞を読むときや血圧を測るときにも使いやすいので、同じように作るときにはその辺りも考えてみてください。

上側に日付を書いてあるのは、作った日を記録したかったので油性マジックで書きました。

 

DIYではなく、同じようなものを購入する場合にはこんな商品があります。  

母は座位が保てる間は、食事の時はこれを使っていました。

 

こんな商品もあります。車椅子対応の昇降テーブルですが、座椅子にも高さを合わせれば使えます。 

 

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お題「健康」

起き上がりできない父に 介護施設のようなベッドの柵をDIY

主人の父は要支援2です。最近レベル低下が進み、介護サービスは来月から受けられるようにケアマネージャーに進めてもらってるところです。父は自分で寝返りをすることができず、夜にトイレに行くときには母が介助しています。どうしても母だけで介助できないときには主人が手伝うことも…。2時間おきにトイレに付き添っている母は毎日が寝不足です。そこで、主人が病院や介護施設にあるようなベッドの柵を作りました。

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  主人はいつも家にある物でなるべく作るのですが、今回使ったのはこれです!

なにか分かりますか? 実は洗濯物の室内物干しスタンドの一番上の部分なんです。

壊れた物干しスタンドをなにかに使えるかも?と取って置いた物をリサイクル使用しました。

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   ↓ ここを利用!

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作り方

どうやって作ったのか?行程を大まかにまとめました。

行程①

物干しのパイプより一回り太いパイプを用意。Uボルトでベッドに固定し、物干しのパイプを差し込む(柵の高さは身長に合わせて上げ下げが可能)

行程②

柵を安定して固定させるためにベッドにも太い板をつけて補強

行程③

黒いクッションテープを巻き付ける

                     f:id:tankakanta:20170819170910j:image                 ↑補強の板

  工夫したこと

・起き上がるとき、左右両側にあった方がつかまることができるので、柵は左右につけました。

・行程③ですが、パイプがむき出しのままでは硬く、バランスを崩して腕があたると痛いので黒いクッションテープを巻き付けました。

 

介護ようの電動ベッドの購入も考えたのですが、動けるうちはなるべく自分の腕や身体の筋肉を使っていてほしいのでこのような柵を作りました。

今日も主人は風呂場に手すりを付け足しました。変わっていく父の状態に合わせて変わっていく家の中…。父は今日着いた手すりを見たときも微笑んでいました。

 

窓の室内側に手すり 介護施設のような長い手すりをDIYできました

 介護施設や病院に行くと長い手すりがあって、それがあることで伝い歩きできている人はよく見かけることですよね。私も去年、股関節を骨折して入院していた間…手すりがある場所は安心して歩け…逆に手すりがない場所は杖をついたり何かにつかまったりしていました。杖を落としてしまったときには、ナースコールを鳴らしたこともありました。

主人の父は伝い歩きしながらでなければ家の中を移動できません。経験したからこそ、父の何かにつかまりたい気持ちはよく分かります。そんな父のために、主人がこんな手すりをDIYしました。

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 手前の手すりは以前から付けていたもので、車のルーフキャリアを再利用しました。

黄色のテープは反射テープで、夜に光って分かりやすくするためです。

 

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 奥側の太い手すりは、父が歩きやすくなるようにということだけでなく、窓にぶつかってケガをすることを防止するために、このように太い幅の手すりをつけました。

更に、薄い1cmの板2枚をネジで貼り合わせることで強度を増しました。それから、2枚の継ぎ目に手が引っかからないように黒いテープを貼りました。

 

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 縦の軸の木に両面テープを貼り、窓のサッシ枠の下の凹みの部分からネジを打ち込みました。

軸の木と太い手すりは手すり側からネジを打ち込みました。

ガムテープでネジの部分を貼ってあるのは、ネジに当たってケガをするのを防ぐためです。

 

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一番奥ですが、ここも窓のサッシ枠に4本のネジを打ち込みました。

ガムテープを貼っているのは前述しているようにネジでケガをするのを防ぐためです。 

  

 奥はトイレです。このトイレに行くために、一日に何度もここを通るので手すりをつけました。父の身長にも合うように高さも測ってつけました。

 

介護保険を使わずにトイレに手すりをつけるには

80歳の主人の父は家の中で移動するときは手すりなどにつかまりながら伝い歩きしています。そんな父のために、主人は家の中のあらゆる場所に手すりなどをつけてDIYしたり、介護用品を購入して揃えています。

今回は、その中でもトイレにどのような手を加えたのかをご紹介させて頂きます。

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水平器について

上の写真は、毎回手すりをつけるときに必ず使う水平器です。ガラス管の中の気泡の位置によって水平かどうかを調べる道具です。真ん中は地面に対して水平かを確認でき、右は45度、左は垂直(90度)かどうかを計測することができます。使い方は、水平を測りたい物に水平器を置きます。そして、ガラス管の中の気泡の位置を確認します。写真のように気泡の位置が中心にあれば、水平になっているというわけです。

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 上の写真の水平器を使ってトイレで座った方向から右手前につけた手すり

 

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 トイレに入ってすぐにつかまれるように縦につけた手すり

 

据置タイプのトイレアーム

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 トイレットペーパーで拭いたりズボンを自分で持ち上げるときに踏ん張ることができないため、便器の左右に肘掛けがわりになる物を購入しました。置くだけの据置タイプなので難しい取り付けはありません。両面テープで固定でき、高さも6段階で調節できます。

父は肘などを時々うって、あざができることがあったのですが、肘掛けができたことでその心配がなくなりました。

 

トイレの他にも、風呂場やベッド、普段座っている椅子に色々な工夫をしています。それらについては改めて別の機会でご紹介させて頂きます。

看取り介護という選択~母の介護経験から~

私の実の母は、父に見守られながら介護施設で静かに眠りにつきました。看取りの同意書に署名して1週間後のことでした。

看取りとはどういうことなのか?どのような手続きが必要なのか?

私の体験から、アドバイスも含めてお話させて頂きます。

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 〝頑張りすぎない〟という選択

母が最初に介護認定を受けたのは50代でした。要介護2で、週に2回、デイサービスに通い始めたことから介護保険との付き合いが始まりました。次第に身体の動きが悪くなり、それと共に認知症も進み、レベル低下していきました。食事も誰かがついていなければ一気に口に入れてむせ、誤嚥性肺炎を起こしたこともありました。

日曜などの休日は私も介助を手伝うことができましたが、平日や夜は父が1人で介護をしていました。次第に父は腰を痛め、夜もポータブルトイレで排泄する介助のために熟睡できることはなく、イライラして母に手を上げたこともありました。それで、母は介護施設にいてもらうことが皆のためにいいのではと父を説得しました。

「もうお父さんだけではムリだよ。私も弟達も正社員で仕事をしているし…。」

両親はとても仲が良かったので、「ずっと一緒にいたい」「自分が付き添ってあげたい」という気持ちは分かります。でも、”いつか父も倒れる!”…それも心配でした。父は納得してくれ、60代前半で母は介護施設に入所しました。特別養護老人ホーム(特養)の個室でしたので、父は毎日母のもとへ通い、私も仕事が休みの日は必ず顔を出し、半日付き添いして、とろみ食を食べさせてあげたりして母との時間を過ごしました。

 

変わっていく介護度(レベル低下)

母は次第に上手に食べて飲み込むことができなくなり、60代半ばに胃瘻をつけました。67歳頃からは、肺炎やその他の病気で年に数回隣接する病院に入院するようになりました。入院する度、母は座位が保てなくなるなどのレベル低下が進み、身体も弱くなっていきました。亡くなる半年前からは、常に鼻に管を入れて酸素吸入がかかせなくなりました。入浴介助をうけるときも酸素は離せないため、軽量のボンベに付け替えて施設の方が入浴させてくれていました。一番辛そうだったのは痰がよくからむようになったことでした。管を入れてとってもらっているときのあの辛そうな表情…管に血が付いていることも時々ありました。

 

【介護の看取り】と【医療の看取り】

酸素吸入がかかせなくなって半年たった頃、施設の医師から「(母の)身体のことについて話をしたいので、お父さんだけではなく、娘さんにも同席してほしい」と声がかかりました。私は半日有給をとり、父と2人で施設に隣接する病院に行きました。そこにはケアマネージャーと生活相談員もいました。医師からの話は「今までの○○さんとは違い、色々な臓器が弱っていて余命は3ヶ月ぐらいです」という内容でした。そこからは延命措置をするかどうか?という話になりました。

父も私も延命措置は望んでいませんでしたので「望みません」と応えました。すると、医師から「一つ確認があるのですが…?」と言葉が返ってきました。「延命措置をしないことで、後から親戚との間で問題になったりということはありませんか?」と…。

延命措置をしないで最期をむかえた後になって、親戚から「なぜ?」と言われることがあるのだそうです。私の家族は親戚とよく連絡をとっていて、父の兄弟とも母の兄弟とも信頼関係がありました。そのことを離すと医師は安心してくれ、ターミナルケアの同意書にサインをしました。

その後、今度は介護施設の方から「介護に関係する(看取りの)説明とサインが必要な書類がある」というので、父と一緒に母のいる施設に戻り、説明を受けました。介護保険の看取りでは、看取り介護加算というものがあり計算が変わるということをこのとき初めて知りました。そして、看取り介護の同意書にサインしました。

 

介護施設と意思疎通ができていたからこそ

それから一週間後の朝、通勤のためにバスに乗っていると父から電話がかかってきました。乗車マナーを考え電話にでずにいましたが、何度もかかってきたので電話にでると「母がいつもと違って状態が悪いらしい」と言うのです。仕事が忙しく、看取りの説明を受けるときにも有休を取っていた私は、“いつもと違う”というだけではバスを降りるという決断ができませんでした。でも、やはり母のことが気になり、いつもより一つ前のバス停で車を降りました。そして職場に連絡し、タクシーをひろって乗り込みました。気になってタクシーの中で施設に電話をすると、聞き慣れたスタッフの声がし、「私も今聞いたばかりで…。」そう言ってくれながら、そこに駆けつけた生活相談員に電話を変わってくれました。「今しがた…です。」

駆けつけた父に見守られながら、母は静かに眠りについていました。私が着いてから、看護師がエンジェルメイクの手伝いに口紅を塗らせてくれました。父が駆けつけたとき、医師が「どうぞ声をかけてあげてください」と言ってくれたそうです。母は最愛の父の声を聴きながら旅立ったそうです。

父が間に合ったのも母が静かに苦しむ表情を見せたり残したりせずに旅立てたのも介護施設と信頼関係があり、普段から意思疎通ができていたからだと実感しています。

 

介護施設や病院の人に話したいことや相談したいこと、改善してほしいこと…色々とある方も多いと思います。私も、父と私と施設の方とで何度か話し合いをしたり説明を受けました。そのときは、必ず相手側の言い分も聞きこちらの言い分だけを言わない!ということを心がけていました。納得のいく“そのとき”のために、このことは大事なことだと思います。

 

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長時間座ることによる褥瘡を予防するには?家族が自宅でできること

主人の父は脳梗塞をきっかけに脚力が低下するなど、カラダが不自由になっていたのですが、5ヶ月前から脚力がどんどん落ち、1日の殆どを椅子の上で過ごすようになりました。そんな父は、以前から「お尻が痛い」と言うことがたまにありましたが、薬を塗ることで治ってはまた痛くなるということを繰り返していました。

ですが、5ヶ月前にお風呂の浴槽から出られなくなったことをきっかけにレベル低下が進み、今は家の中の移動も、手摺りなどを使って伝い歩きするのがやっとです。そんな状態ですので座っている時間が長くなり、「お尻が痛い!」と辛そうに言うことが増えてきました。軟膏などの薬を塗っても以前のようにはよくならず、「痛い!」と言うことが多くなりました。そんな父のために、2つのクッションを用意しました。それからは、痛いと言うことは無くなりました。どのようなクッションを用意したのかをご紹介します。

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 自宅で座っている時間が長い!圧迫防止には?

前述したように、父は座っている時間が長く、時々「お尻が痛い」と辛そうでした。お風呂上がりに見てみると、常に褥瘡があるというわけではありませんが、お尻の一部がただれては薬を塗って治り、暫くすると、またただれる…ということを繰り返していました。

あまり同じ体勢をしていてはいけない(時間を決めて体位変換した方がいい)ということは、前回書かせて頂いた〝寝たきりの母の経験〟から分かってはいましたが、父はトイレに行くなどの最低限の移動以外では椅子から離れません。脚力がないので歯磨きも椅子に座ってします。認知症などはなく自分の考えもはっきりしているので、無理強いするわけにもいかず、症状だけがひどくなっていきました。

そんな父のために、私は実母が使っていて実家に残っていた四角いクッションを車椅子ように用意し、主人は父が普段座る椅子ように圧力を吸収するドーナツ型のクッションを購入しました。

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  車椅子のための四角いクッション

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 これが、実父が実母の褥瘡対策に購入したものです。 

 私の実母は60代前半で自分で歩くことができなくなり、介護施設で普通の椅子に座るということはなく、座っているときはいつも車椅子でした。次第に座位を保つことも困難になってきました。そんな母が「少しでも楽に座れるように」、「褥瘡対策に」と実父はこの四角い耐圧分散のクッションを購入しました。実母が他界してから、私自身も職場や自宅のソファーでお尻の下や背中にあてて使っていたので、使い心地の良さを実感していましたので、父が「お尻が痛い」と言っているのを聞き、実母が使っていたクッションを父が通院時に使う車椅子に敷きました。中心部が円形にはずせるようになっていたり、カバーがはずせて洗えるようになっている点も便利です。

  普段座っている椅子のための圧力吸収クッション

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  これが、主人が購入し父の普段座る椅子に置いたドーナツ型クッションです。

左右の前の部分がへこんでいて、座ったときに太ももにもフィットし、ソフトな弾力で座り心地がとてもやさしく、このクッションに座りはじめてから、父は「お尻が痛い!」と言わなくなりました。尾てい骨があたる部分がへこんでいるのもよく考えられています。

 

 

このお話が褥瘡で悩んでいる方やそのご家族の方のお役に立てれば幸いです。

働きざかりと親の介護

私は40代後半で主人は50代前半です。

私は30代から実母が要介護状態で、3年前まで介護施設や介護サービスとのお付き合いが続きました。一年前に父も他界しました。

ですが今年、新しい家族が増えました。結婚し、また〝お父さん〟〝お母さん〟と呼べる人ができました。主人の両親は共に80代前半で、母は元気ですが父は要支援2で介護が必要な状態です。要支援2といっても、家の中での移動だけでもひと仕事で、自分で歩いてトイレに行けますが、手摺りか何かにつかまりながらの伝い歩きでなければ移動することはできません。

5ヶ月前にお風呂に入っていて出られなくなり、救急車で運ばれるということがあってから、母だけでは、父の入浴中に何かあるといけないので家族で相談し、父は必ず主人がいるときにお風呂に入るようになりました。主人も私も仕事をしており、主人の実家は同じ市内ですが山間部なので毎日という訳にはいかず、2日に1日、主人と一緒に実家に帰って泊まっています。

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自身の親の介護から配偶者の親の介護へ

親の介護というと、大きく分けると〝自身の親の介護〟〝配偶者の親の介護〟の2つになると思います。私の実母は『看取り』というかたちで介護施設で静かに息をひきとり、母の介護で腰を痛めていた父も他界するといったん介護は終わりました。

でも、有難いことに再び〝お父さん〟〝お母さん〟と呼べる人ができました。そして、〝お父さん〟が前述したような状況なので、再び介護と向き合うようになりました。

少子化で、しかも殆どの人が仕事をしている現代…40代・50代の働きざかりの介護と老々介護は私の生活の中の一部でもあり、大きな社会問題だと実感しています。

 

 職場の理解

介護休職を社内規定に設ける会社も多くなってきました。私が以前勤務していた会社にもありました。でも、在職中に全社員の中で実際に介護休職をとったのはたった1人だけでした。

私の母も少しずつレベル低下が進んで身体が弱くなり、次第に救急車で運ばれたり入院することが多くなりました。余命3ヶ月と説明を受けたときには、上司に時間を作ってもらい、会議室で「有給を急に取ることが増えるかもしれない」と話しました。上司はそのことを理解してくれず、逆に「そんなことで私を呼びつけたの?」と言われ…辛い思いをしました。このように、職場の上司が理解してくれなかったという経験を主人もしています。

 両親が病院に行くときや髪を切りに行くなどの用事で出かけるとき…仕事の都合をつけ、できるだけ私達夫婦と両親の4人で車で出かけています。母だけが出かけるときには、私が父と実家で留守番をしています。

初めて父と2人で家にいることになったときには、こんな微笑ましい話も…。父が主人にむかって「喧嘩せんように(2人仲良く留守番)しているからな♪」と明るく言ってくれました。でも、父は少しずつ歩きづらくなり、家の中で転けることもしばしばです。股関節を手術している私レベル低下している父、2人での留守番はやがてできなくなりそうです。

私達夫婦と両親の話が、同じように介護をしていたり、悩んだり、不安をかかえている人達と共有でき、宜しければコメントを頂いて一緒に考え、歩めていければ幸いです。

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 お題「ブログをはじめたきっかけ」